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「こうなったらどうしよう」

とか

「どうせこうなるから」

とか

そんなことを考えまくり、それでも行動を起こす人は、とても強い。

 

色々考えた挙句、結局何もしなかった。

そういう経験を何度もしています。

 

いくつか、記憶にあります。

 

用もなくメジャーセブンを弾く指は 青く儚い春を羨む

行動的な人間になるにはどうすれば良いのかというと、行動することだといいます。

素直に思いを伝えられる人間になるにはどうすれば良いのかというと、素直に思いを伝えることが一番の近道だといいます。

 

「それができないから困ってんだろ!」

、、、全くの同感です。

 

アドバイスする度誰かの声がする「そう言うお前は何をしたんだ?」

 

誰かにアドバイスをさせていただく度に、そう思います。

 

「何が足りないか」という問いに置き換えてみると答えは簡単で、

変化と変化に伴う痛み、です。

 

時々感じる停滞感とか何となく感じる不安とかは、おそらくそのあたりから来ているのでしょう。

あると思います

高卒で働いている方に

「大学って意味あるの?」と聞かれたことがあります。

 

僕は、すんごく有意義、だと思います。

蛇行し放題、寄り道し放題だからです。

 

大学生の頃の自分は、いわゆる「意識高い系」に近かったと思います。

最短距離ばかりを走ろうとすると、面白いものを見逃してしまいがちです。

 

悩んでた 悩んだ末に行き着いた答えは「未だ辿り着かない」

 

その時間も無駄ではないと思います。

80年間の寄り道も、ありなんじゃないかなあ。

指一本触れずに交わす約束に 壁の向こうの夜は短し

 

そういえば、『もののけ姫』が放送されていました。

あれは先週だっけ。

 

テーブルを挟んで座る金曜日 「シシ神様」が朝日を浴びたり

久しぶりに会った友人に、

「怪しいカルト集団に仲間入りしたのかと思った」と言われました。

twitter上の荒井は、どうやらそのように見えたらしいです。

荒井は大丈夫です。たとえカルト集団に仲間入りしたとしても、とにかく大丈夫です。

 

ぽつぽつとまた書いてみます。

実はバンドをやっていた時期がありまして、その時に作ったwebサイトでもちょっとだけブログを書いてたんですよね。

自作短歌も載せたりして。

 

これをしろそれはするなというように命令形だ がんばれだって

 

過去にハマったものというのは、時間をおいてもやっぱり好きなようです。

短歌、割と載せるかも知れません。

忘れていました

荒井です。

三連休なので、荒井です。

 

この頃は、「すぐに」「結果を得よう」とばかりしていたような気がします。

 

大学4年生頃から、就活やインターンなどに参加し「仕事とはなんぞや」みたいなことを考えさせられる機会が多くなり、就職した今ではこの考えが頭に貼りついてしまっています。

 

僕は読書が好きで、とりわけビジネス書や自己啓発書を読むことが多いのですが、そうなるとやはり、「仕事に活かす」とか「成功する」とか「成長する」とか、そんな言葉を何回も目にすることになります。

「スピード」という要素も求められます。

 

確かに仕事をする上ではこれらは大事な視点だと思いますが、困ったことに、仕事以外の時間でもこの考えに支配されてしまっている自分がいました。

 

「すぐに」「結果を得よう」と躍起になってしまっていました。

自分自身がこのような状態になっていることに、最近気付きました。

きっかけは、久々に行った古書店で、もともと好きだったデザインとか美術に関する本を眺めたこと、ですかね。

 

「成長」とか「仕事に活かす」とか「結果を得る」とか。そういったこととはあまり縁がないですよね。

でも時間を気にせず、ぼーっと眺めてしまいました。

その時に、「この感じ、最近忘れていたなぁ」と。思ったわけです。

 

スピードと結果は確かに大事ですが、でもちょっと待てよ。

「それだけで、本当に楽しいか?それだけが自分にとって正しいものなのか」と。

答えは、否。INA。

 

最近読んだ本(これも自己啓発っぽい内容ですが)の中で、とても気に入っている言葉があります。

「偶有性の海」と「プラトーを愛する」という二つの言葉です。

 

一つ目は茂木健一郎さんの『龍馬脳のススメ』という本の中で使われていたものです。

「何が起こるかわからないけど、とにかく行動してみる」というようなことを「偶有性の海に飛び込む」という言葉で表現していました。

 

もう一つはジョージ・レナードさんの『達人のサイエンス』という本からです。

プラトーというのは、学習する者には必ず訪れる「停滞期」みたいなものです。毎日練習しているけど上達している気がしないし、なんなら以前よりヘタクソになっているんじゃないか?とも思ってしまう時期です。

著者は「それは当たり前だから、むしろ楽しまないとダメだよ」と言っており、それが「プラトーを愛する」ということです。

 

本当は仕事においてもこの考えを取り入れたいところですが、まずは自分だけの時間に対して、この考えをベースに動いてみよう。最近の面白くない自分の状態、「スピードと結果ばかり求めている状態」に、この二つの言葉でもって面白くしてやろうと、思っているわけです。

 

今日も「荒井の随筆」を読んでいただきありがとうございます。少し、視野が広がった気がします。

「ギター弾き語り」という趣味

荒井です。

 

中学生の頃からアコースティックギターを弾くのが好きでしたが、ここ2年くらい「趣味はギターの弾き語りです」と言うことに対して、実は何故か違和感を感じていました。

 

何か、趣味とは違うんじゃないかと、ずっと思っていたんですよね。

かつてはギター弾き語りサークルに所属していたにもかかわらず。

 

趣味とは、違う。じゃあ「仕事」?それも違うよなぁ。

大学生の頃は所属していたそのサークルで副会長になったりもしました。

副会長といっても、サークルなので何もしていませんでしたが、一応役割が与えられたことによる責任感もほんの少しありました。

 

責任感、確かにちょっとありましたが、それが「趣味」から遠ざけたわけでもないし、ましてや仕事のように感じられたわけでもありません。

 

じゃあ何なんだというと、

、、、ペット?

ペット飼ってる感覚に近いのかもな?

って今日思ったんですよね。

 

ギター置いてあるけど最近全然弾いていない。すると何だか自然に「弾いてあげなきゃ」みたいな気持ちが湧いてくるんです。

「ペットと遊んであげなきゃ」みたいな。

 

ペットを飼っていれば、エサをあげて清潔にして散歩なんかもしてあげなくてはなりません。

それは自分にとってもペットにとっても、楽しいことであったり気持ちの良いことであったりします。

でもそれが「趣味」かというと、ちょっと違う気がしませんか。

むしろ、義務に近いものがあるような気がします。

 

ギターにも同じようなことが言えると思うのです。

もちろんギターは生き物ではないので病気になったり死んだりするわけではありません。

しかし愛着が湧いてくるとぞんざいに扱うことはできません。

「そろそろ弾いてあげないと」みたいな一種の義務感・責任感が生まれてくるんですね。

あ、どうでしょう、これは僕だけの感覚なのでしょうか。

 

ともあれそんなわけで、

「趣味はギターを弾くことです」

というより

「ギターを飼ってます」

って言った方が何気にしっくりくるんじゃないでしょうかと、今では思っています。

もちろん、こんなことを真顔で話してきた人がいたら、引きます。

ただ感覚としてはそうで、僕が抱いていた違和感もこれでほぼほぼ解消されました。

 

目には見えない相互的な何かがあるので、そう感じるのでしょうね。

 

今日も「荒井の随筆」を読んでいただきありがとうございます。「趣味」と言うことに違和感を持ち始めたら、少なからず責任も生じている、というところでしょうか。