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「ギター弾き語り」という趣味

荒井です。

 

中学生の頃からアコースティックギターを弾くのが好きでしたが、ここ2年くらい「趣味はギターの弾き語りです」と言うことに対して、実は何故か違和感を感じていました。

 

何か、趣味とは違うんじゃないかと、ずっと思っていたんですよね。

かつてはギター弾き語りサークルに所属していたにもかかわらず。

 

趣味とは、違う。じゃあ「仕事」?それも違うよなぁ。

大学生の頃は所属していたそのサークルで副会長になったりもしました。

副会長といっても、サークルなので何もしていませんでしたが、一応役割が与えられたことによる責任感もほんの少しありました。

 

責任感、確かにちょっとありましたが、それが「趣味」から遠ざけたわけでもないし、ましてや仕事のように感じられたわけでもありません。

 

じゃあ何なんだというと、

、、、ペット?

ペット飼ってる感覚に近いのかもな?

って今日思ったんですよね。

 

ギター置いてあるけど最近全然弾いていない。すると何だか自然に「弾いてあげなきゃ」みたいな気持ちが湧いてくるんです。

「ペットと遊んであげなきゃ」みたいな。

 

ペットを飼っていれば、エサをあげて清潔にして散歩なんかもしてあげなくてはなりません。

それは自分にとってもペットにとっても、楽しいことであったり気持ちの良いことであったりします。

でもそれが「趣味」かというと、ちょっと違う気がしませんか。

むしろ、義務に近いものがあるような気がします。

 

ギターにも同じようなことが言えると思うのです。

もちろんギターは生き物ではないので病気になったり死んだりするわけではありません。

しかし愛着が湧いてくるとぞんざいに扱うことはできません。

「そろそろ弾いてあげないと」みたいな一種の義務感・責任感が生まれてくるんですね。

あ、どうでしょう、これは僕だけの感覚なのでしょうか。

 

ともあれそんなわけで、

「趣味はギターを弾くことです」

というより

「ギターを飼ってます」

って言った方が何気にしっくりくるんじゃないでしょうかと、今では思っています。

もちろん、こんなことを真顔で話してきた人がいたら、引きます。

ただ感覚としてはそうで、僕が抱いていた違和感もこれでほぼほぼ解消されました。

 

目には見えない相互的な何かがあるので、そう感じるのでしょうね。

 

今日も「荒井の随筆」を読んでいただきありがとうございます。「趣味」と言うことに違和感を持ち始めたら、少なからず責任も生じている、というところでしょうか。